衆目も、この男には何ら影響を与えるものではないようだった。
当然の事ながらそれは私に当て嵌まりはしないから、大層な迷惑を被る破目になったのだが。
男と初めて顔を合わせたのがいつだったか、思い出すには全く困難を伴わない。
否、寧ろ忘れる方が余程難しい作業だろう。
それは僅か二週間前のことだ。
後先考えずに飛び込んだ、小ぢんまりした店のカウンターで、男は酔い潰れていた。
違う。
現在只今、当に潰れようとしている最中だった。
常連だけが顔を連ねる店の中、異質な私の存在は男の酔いを醒ますには充分過ぎたようで、頼みもしない高い酒と長い説教を、有難く夜半過ぎまで貰い受けたのである。
まさか男と再びまみえることになろうとは、夢にも思っていなかった。
知人であれば広い街ですれ違うことはあれど、所詮酒の席での初見同士、互いを認識し顔を見合わせるなど二度あることもない。
そもそも男が私を憶えている可能性が存在すること自体、頭の端に上りもしなかった。
店の人間には見慣れた光景なのかもしれないが、私にしてみれば今後の人生、再び見ること敵わぬ景色であった。私は酒の力を偉大とすら感じた。
委細をここへ挙げることは諸事情より断念せざるを得ないが、しかし、あれほど飲みに呑まれた人間が正確な記憶を持ちえるとは到底思えない。
酒に潤んだ赤い瞳で、二度三度と繰り返し楽しげに酒代を数えていた長い指を思い出す。
そして今、大衆の面前で件の男の腕に抱き竦められた私はされるがままの状態である。
色気はないが、余裕もない。
苦しすぎて声すら出ない。悪気は微塵もないのだろうが、如何せん体格が違いすぎる。
漸く弛んだ腕の中、見上げた男の顔はあの時と全く同じ。
孤を描いた薄い唇からこぼれる酒に焼かれた低い声。
「よう、元気そうだな。また会いたいと思っていたんだ――」
そうして抱かれた身体に続いて響いた音が、正しく私の固有名詞であると気づいた時、一拍跳んで打った脈拍が男に伝わっていないように、と、無駄な足掻きと知りながら心の底から祈った。
私もこの男にもう一度会いたかったのだ、などと、口が裂けても言うものか。